連載の原稿は今朝、第1稿を書き終える。明日うちの先生と京都大学の伊勢戸くんに監修してもらって、書き直して写真を揃えてやっと入稿だ。たった1ページだがけっこう手間がかかる。読むのは5分もかからないんだけどねえ。
で今日は、ふーん今年の上杉謙信は平知盛かあ、などと思っただけでちゃんとは見ずに、ゼミ発表用に英文の論文を翻訳。発表は20日なのだが、12日から16日まで留守をするので、前倒しでやっつけておくのだ。
秋に翻訳した論文は25ページもあって、しかも筋肉構造の話だったから理解するのが大変だった。おかげでウミウシが餌を食う時、口の辺りの筋肉をどのように使うかがわかりましたが。努力って、たまにはしてみるものですね。しかし修論の締め切りが迫りくる今回は、ちょっと楽をして短め(14ページ)の論文。Pleurobranchaea californica(ウミフクロウの仲間)が何を食ってるか、という内容なので、そんなに難しくないし。難しいのは統計学の専門用語くらい。
それにしても1年に139回もトロール網を入れて、海底にいるP. californica を356個体も採集して、その胃の中身を全部調べたっていうんだから……、研究者という人種、やはりどこか常軌を逸している。
常識的な人間は研究者にはなれないのかもしれない。
ま、そもそも生物の研究なんて道楽みたいなもんだからね。直接的に人類の役に立つ研究をしている人も中にはいるが、うちの研究室でやっている研究など、直接的には何の役にも立たない。ウミウシが口の筋肉をどう動かして餌を食うか、ウミフクロウが何を食ってるか、あいつとこいつは別種か亜種か、なんてことがわかって、それが何の役に立つっていうのさ。エイズどころか下痢も治りゃしないよ。ということを私はわかっている。わかった上で「おもしろい」と思ってやっている。生物のさまざまなありようを知ることで、もしかしたら世界が変わる、かもしれない。そういうのもおもしろいと思う。しかし、それを「おもしろい」と思うのが自分だけなら、『熱中時間』に登場する道楽者と変わらないではないの?
というわけで研究は道楽である。研究で食べていける人が少ないのは、だから当然かもしれない。先日、大原拓に「理枝さんは(大学院で)遊んでいるんでしょ」と言われたのだが、そのとーり。拓は正鵠を射ている。
ホモ・ルーデンスたる我々は、遊びをせんとや生まれけん。ですよ。
ところがです。道楽をやっているはずの人が、なぜか往々にして「私はナニかすごく立派なことをしているのだ」と錯覚するのだ。食べていけない(かもしれない)のに道楽を続けるのはしんどいから、こう思い込みたくなるのは或る意味しかたないことなのかもしれないが、これはやばい兆候だ。症状が進んで「研究者はえらい」「あの人の研究より私の研究のほうが意味がある」とかいう心持ちが言動からにじみ出るようになったり、他人の研究材料や研究そのものをバカにするようになったらもうダメだ。
大学という特殊な環境の中では「もうダメだ」な人でも、幸せに過ごせるみたいだが。
でもさ、こういう存在って、学生にとっちゃいい迷惑なんだよね。○野くんとか○田くんとか、かわいそうに。
※うちの先生や伊勢戸くんの名誉のために書いておきます。彼らは大変な知識と教養の持ち主ですが、謙虚であられる。こんなことを私が書くこと自体、失礼千万ではあるが。
実る程頭を垂れる稲穂哉。
私も、いつかは、こうなりたい。
気分転換にこれを書いたりストレッチをしたりしつつ、14ページ、12時間で全部やっつけたぜ。レジメとパワポ作りは明日。
あっ! 明日から授業だ!