今日はダンナが「職業と人生」の授業の講師を務める。
前回の大原拓の時と同様、私は助手としてプロジェクターなどを準備したり出席表を配ったり。学生の授業態度もチェックしたよ。
机に突っ伏して寝る。これはしかたない。いつの時代にも、どんな講義でも、寝る学生はいるものだ。
私語が少ない。これは褒めるべきだろう。偏差値の低い私立大学や短大あたりでは私語でやかましいくらいだと、偏差値の低い短大で非常勤講師をしている知人が言っていた。
講義の最中に教室を出たり入ったりする。これは私の時代にはなかった行為で、どういう神経をしているのか理解に苦しむ。他の人に迷惑がかからないからいいだろう、とでも思っているのだろうか。ふざけたやつらだ。私なら、20分以上途中退席した学生には、その時点で不可を進呈しますね。
講義のテーマは「起業」。学生には難しすぎるのでは、とあやぶんだが、意外なことに半数近くがしっかりとした感想文を書いてきた。腐っても国立、ってことかしらね(琉球大学は日本一偏差値が低い国立大学なのです)。
しかし、いくら「起業」についての感想文をしっかり書けても、就職に対する意識は低いのだから困ったものだ。特にうちの研究室の学生は……。3年生に「就職活動しているか?」と聞くと「エントリーシートには記入しました」と言って平然としている。まったく、この不況時に、キミらに危機意識はないのか? 僻地だし南国だから、危機意識の持ちようがないのかもしれないが……。**さんに至っては卒業して1年たつのに就職が決まっていない。**さん自身は学生にしては常識のある、同級生から「大人」と評される子だったのだが。
卒業してすぐ就職しないとダメだとは言わないよ。1年くらい海外を見て歩くのもいいし、ワーホリに行くのもいい。しかしフリーター暮らしはダメだ。
フリーターが世間から軽んじられるのは、「イヤなことがあったらすぐ辞めてしまう」など、仕事をしていく上での基本的な心構えや常識が身についていないからだと私は思う。
フリーターと同じ扱いをするつもりはないが、大学の先生にも常識をわきまえない人が時々おられる。それは彼らの多くが社会人生活を経験していないからで、或る意味しかたないと言える。世間の人は「あの人は大学の先生(=学者バカ)だからしかたない」と、半ば哀れむような感じで見ているってことに、そーゆー研究者ほど気がついていない。まあ、そーゆー人らはそーゆー人らで固まって暮らしているので、アレでも困らないのだろう。でも普通はアレでは困る。
そーゆーのが親だと子供のアレ度は確率的に高くなるはずで、そーゆー学生は再生産的に研究者をめざす傾向があるのかもしれない、というか、研究者にしかなれない。しかし親が大学の先生であるウミクワ先輩は、研究者になる決意を固めたと同時にたいへんな勢いで常識を身につけつつある。後輩であると同時に母? でもある私としては嬉しい限りである。彼はもともとの性格がとてもいいしね。
本当は研究者にも常識は必要。研究者が研究者だけで固まって生きていられた時代は終わった。ということに気がついている院生~先生は常識があるってことですね。
まぁそんなわけで、研究者をめざさなければ尚のこと、人は就職しないといけない。企業で働くということは、給料をもらって社会人としての教育を受けられる、ということでもあるからだ。こんなありがたい話があるだろうか?
就職先は大企業でも零細でも構わない。カネを稼ぐためには多少の我慢はせねばならず、仕事相手を尊重して自己主張はスマートかつほどほどに、などの見識を身につけるのに、大企業がよくて零細はダメだとか、ITがよくて農業はダメだとか、あるわけないじゃないすか。
なによりも、自分で自分を養っていない人は、いくつになっても一人前の大人とは言えないのだよ。
かくいう私も最近半人前に成り下がりつつある。修士発表会が終わったら働かなくては! 本を書かなくては! いんや、とりあえずパート仕事でもいいや。いい年こいて、ダンナのすねをかじって院生を続けるわけにはいくまいて。