最近は仕事をする時クラシックを聞くようにしている。ヨハン・シュトラウスやモーツァルトなどを聞くと、やたらと仕事がはかどることを学習したのです。が、一昨日新幹線の中でふとした拍子にオフコース『愛をとめないで』『さよなら』『眠れぬ夜』を(Youtubeで)超久しぶりに聞いてしまい、以来理系的仕事の作業ペースが狂ってしまって往生している。
私の世代は松任谷由実・中島みゆきが大好きな女子が多い、と思うのだけれど、私は中学・高校・大学時代を通して、彼女たちの歌に興味がなかった。
高校の卒業式の後、担任が感極まって「よし!みんなで中島みゆきの『時代』を歌おう!」と叫び、クラスの女子たちは皆肩をくんで「めーぐるめーぐるよ時代はめーぐる」と泣きながら歌った。しかし彼女たちと違って受験勉強に忙しかった私は(私は事情があって高校の最後の年を2回、別の高校で過ごし、高校4年生を過ごした=高校を卒業したのは、アホ女子が90%だった福岡の女子校だった)この歌を知らず、「どうしよう、この青春真っ盛り状態な中、ひとり白けているこのワタシ……」、と思ったものだった。あの時の「わたしゃあんたたちとは一生仲良くなれんわ」的な違和感は今でも忘れない。
話が前後しますが、なぜ高校時代に松任谷や中島を聞かなかったかというと、邦楽は歌詞は当然日本語なので、聞いていると歌詞に気を取られてしまい、受験勉強の邪魔になったからです。だから当時は歌詞の意味がわからなかったアメリカ&イギリスのロックばかり聞いていた(今はわかりますよ、もちろん)。
そして大学時代。聞いていたのは主に80年代ロック、邦楽はサザンとオフコースだった。オフコースは大学時代の彼氏が聞いていたので聞いてみたのだが、……
あの頃より今のほうが、小田和正の書いた歌詞の意味が、よくわかる。
そのことに気づいて、一昨日は正直、びっくり! してしまった。
「忘れかけた愛がよみがえる」の意味が、今はよくわかる。
年をとってよかった。
理屈っぽくて、負けず嫌いで、他人に不寛容だったわたしも、年をとり、経験を積んで、他人への思いやり、つまり「愛」の意味が少しはわかるようになった、ってことかもしれない。
それにびっくりしてしまって、ペースが狂ったのだろう。
小田和正は、「あなた」の歌を歌っている、ということにも気がついた。
恋ではなくて、愛、を歌っている。
いっぽうで、松任谷や中島は、「わたし」の歌を歌っている。
愛ではなくて恋、を歌っている。彼女たちの歌は、恋するわたし、恋に苦しむわたし、失恋したわたし、失恋して苦しむわたし、の歌なのだ。一人称的な、自己完結的というのかな。
いや、別に松任谷由実や中島みゆきがよろしくないと言っているわけではないです。恋は恋、愛は愛です。そして恋は利己的なもの。と言いたかっただけで。その自分中心な感じ、自己陶酔が恥ずかしかったんだろう、高校・大学時代のわたしは。
ということで?、明日、父親の手術が成功裏に終わったら、記念にオフコースのCDを全部買ってやろう(=カネがないのでダンナに買ってもらおう)と思っている。
小田和正がどういう人かは知らないし、知りたいとも思わない。歌詞が素晴らしかったらそれでいい(オフコースの場合、小田和正の声は必須だし、作曲も素晴らしいと心から思いますよ)。
ちなみに今日は、病院から帰った後、親の家のキッチンとお風呂の大掃除を行い、夜になって母が寝たあと、先般受理された論文の後処理(後処理とは何か、研究者ならわかりますよね)を行い、そして今はひとりキッチンでオフコースを聞きながら酒盛りしているところです。もう大酔っぱらい。
明日父親が手術だというのに。
人のこころのありようなど、ギリシャ神話の昔から、日本の場合は『万葉集』の昔から、まったく変わっていない。表現技法が変わっただけで。
「普遍」を歌っているからこそ、小田和正の歌は今なお美しく、人のこころに響くのだろう。
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