「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」。宝島社刊。
ダンナが買ってきた。ダンナの買ってくる本は地域活性化とか地域通貨とかベーシックインカムとか、そんな本が多くて、私はほとんど興味を持てないでいるのだが、この本は珍しく思わず手に取った。そして実に面白かった。なのでご紹介しておこうかなと。
古今東西、といっても主に日本ですが、の、さまざまな作家や雑誌の独自の文体で、カップ焼きそばの作り方を書いてみた、という、まぁそれだけの本なのだが、これが面白い。要するにパロディ本ですね。
パロディなので、元ネタを知っていないと理解できない=笑えない。つまり教養がないと楽しめない本。私は小説に関してはかなり教養があるほうだと思うが、ウミウシ転向以降の新しい作家はてんで知らない。読んだことのない作家の文体で書かれたカップ焼きそばの作り方を読んでもまるで笑えない。ということが、この本を読んでわかった。つまりこの本には、自分がどの年代まで小説を読んでいたか、クロニクル的な理解もできたりする、そんな効能もある。
カバーや挿絵に使われる田中圭一の漫画が、ひねりが効いていてまた面白い。田中圭一というのは、もし手塚治虫が生きてたら激怒するか爆笑するか、どっちだろう、と想像してしまうような、かなり変態的えっちな手塚治虫のパロディ漫画を描く人で、実は私は大好きで何冊も持っていたりする。
似たような趣向の本にレーモン・クノーの『文体練習』がある。この本については松岡正剛さんの素晴らしいレビューがあるので、そちらを読んでいただければ。
http://1000ya.isis.ne.jp/0138.html
私は今では小説をもうほとんど読まなくなったし、蔵書のほとんどを売り飛ばしてしまった。そんな中、『文体練習』は手元に残した数少ない本。それだけ面白くて、爆笑しながら読んだってことですが、こちらのほうが外国の作品が多いためにより教養を求められる気がする。笑いたいために原典を読んだりしたものです。カップ焼きそばみたいな本を面白いと思うなら、こちらもお勧め。
昔から「何が書かれてあるか」より「どう書かれているか」のほうが気になる人だった。卒論の主軸にした本も大江健三郎の『小説の方法』だった。なのでこういう本はツボにはまるのです。だってさ、古今東西、小説に書かれていることは基本的に同じだからね。愛だの恋だの失恋だの死別だの。嫉妬だの裏切りだの劣等感だの。野心だの挫折だの。人間の本質など2000年やそこらでは変わらない。だから小説には文体の面白さを追求したい。時代や作家によって変わる文体こそが面白い。
次の本(図鑑ではないよ)を書くにあたって、ちょっと文体練習しないといけないな、と思っていたところだったので、この2冊はとても刺激になった。
あ、もう終わってしまったけど『朝日小学生新聞』に書いた連載も、普段書くものとは相当違う文体で書きました。
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