一昨日だったか書いたことの補足。
餌がすなわち住居であることが多いウミウシだって、そこにある餌を食べ尽くしたら新天地を求めて旅立つこともある。
お菓子の家だって、食べちゃえば更地しか残らないじゃないすか。更地を後にしてヘンゼルとグレーテルは次のお菓子の家を捜しに・・・行かなかったと思うが、ウミウシは次の餌兼住処を求めて移動する。
だから撮影されたウミウシが餌の中に埋もれていなくても、たとえばチゴミノウミウシがウミウシの卵塊についていなくても、そのこと自体を問題視するつもりはありません。
『本州のウミウシ』にも雪見だいふく、ではなく
Peltodoris fellowsi など、堂々移動中の写真を載せている。
つるっつるの石の上にちょこんと乗っている、のは、さすがに不自然だと言いたいの。
そんな「やらせフィールド写真」、生態写真として価値があるとは私には思えない。場合によっては水槽写真より価値がない。
水中写真の撮影機材が未発達だった時代は、アクリルのシャーレにウミウシを入れて、真上から撮影する方法が主流だった。シャーレで撮った写真にも生体写真としての価値はあるが、最近は研究者の方々もシャーレ写真はあまり公表しなくなったね。
私の基準としては、フィールドで撮った写真(生態写真)>シャーレで撮った写真(生体写真)>「やらせフィールド写真」の順かなー。
じゃあ、カイメンやヒドロ虫やコケムシがぐちゃー、とある、ありのままの状態で撮れば良い生態写真なのか、というと、そうではない。触角や鰓が引っ込んでいたり、背面の模様や鰓突起の形状がよく見えない、そんな生態写真も価値があるとは私には思えない。ピントがあってなかったり光量不足だったりしたら、証拠写真にもならない。
綺麗な生態写真って、撮影するの、本当に難しいと思う。
誰とは言わないけど知人の水中カメラマンは「おれウミウシ撮るのイヤ、ウミウシ嫌い。だって小さい割に動くの速くて、ピントあわせづらいんだもん」と言っていた。気持ちわかるわ・・・。
みなさん頑張って!