いくら国立大学の学生でも、理系の子たちは文系の子たちに比べると、圧倒的にものを知らない。社会常識も文系の子たちほどはない。その代わり変な自意識も持っていない=素直な良い子(子供)が多い。そのため私は大学の授業で習うこと以外のいろんなことを(知っているものだから、つい)教えてしまう。
そしてフト慄然とする。小学校の教師化しているかもしれない自分に。
よくある言い訳(「こんなことを書いたからって、☆☆の皆が皆、変な人ではないと思ってますよ、念のため」)を先に書いてから本題に移ります。
小学校の先生って、なんか変で、大人としてつきあいにくい人が多いような気がする。
子供相手に一国一城の主をやっているんだから、その分忍耐力もあるんだろうけど、どうしたって上から目線で話すことが習慣になってしまう。
で、それを大人相手にもやってしまう。
なんでも「それはね~」と、教えようとするし、誰にでも「~しなさい」と指示をする。
今どきモンスターな親が多いらしいから、そんな上から目線の先生は減っているのかもしれないけれども。
たとえば小田急沿線に住んでいた子守先生(仮称:当時30代)は、何をするにもいちいち偉そうに指示をしたし、誰でも知っているようなことをいちいち偉そうに講釈をたれた。子守先生とは3回くらい仲間と一緒に潜りに行ったが、態度にうんざりして友達づきあいをやめた。
で、フト思うのだ。私、最近、子守先生化してないかしら。
大人の潜り仲間に向かって、若い学生に言うのと同じような、偉そうな物言いをしてないかしら。
もちろん若い学生に対して偉そうな態度など決してとっているつもりはないが、若者にあれこれ教えるようになってもう3年だ。自分でも気がつかないうちに子守先生化していないとも限らない。
はやく今の環境から脱却しないと、上から目線で話すイヤな人化してしまいかねない。
しかし今の環境から脱却するにはあと2年かかる、あるいはあと2本論文を書かなくてはいけない。
あと2年も沖縄で独り暮らしか? それはイヤだ。
しかし、イヤだからといって、ではどうすればいいのだ。
IBM浅川さん効果が早くも薄れてきている。ダンナと一緒にめしが食いたい。
こんな、意味のない懊悩をするヒマがあったら、英単語のひとつでも多く覚えるべきだと思うのだが。