晩ご飯(肉野菜のオイスターソース炒め丼)を食べながらNHK『クローズアップ現代』を見る。今日のお題はワクチン。
サイトから番組概要をコピペします。
海外では全ての子どもに無料でうつのが当たり前のワクチンが日本では使えない、数万円の費用が壁となり接種率が上がらない、など、日本の予防接種は他の先進国より20年遅れていると言われている。このためポリオにかかって手足がマヒしたり、肺炎球菌やヒブに髄膜を侵され命を失う子ども達が後を絶たない。かつてはワクチンを積極的に接種していた日本が、なぜ「遅れた国」と言われるまでになったのか?背景には、副作用問題にゆれてきた過去やワクチンの効果を検証する体制の不備があるとみられている。社会の将来を担う子ども達を大切に育てるには、今、何が求められているのか? 事実上の義務化を進める欧米の事情も取材し、ワクチン問題解決の方策をさぐる。
私には喫緊の問題ではないけれど、番組で森本アナウンサーが使っていた「畏縮する日本」という言葉が、日本人の体質をよく言い表していると思い、つい最後まで見てしまった。
「みんながワクチンの副作用が出た子に同情して、ワクチンを摂取させた行政に対して怒っているから、ワクチン摂取はやめとこう」
という行政の姿勢が番組では問題視されていたけれど、ワクチンに限らず、行政は問題に対して常にこう動く。
ケチつけられるのがイヤだから=責任回避したいから、今は何もしないでおこう、問題は先送りしよう。
ケチをつけられる前に、ケチをつけられそうな箇所をデータや理論で補強すればいいのに、それはしない。
こういう姿勢は行政のみならず、個人のふるまいにもマスコミの姿勢にも見られる。
「みんなに嫌われるかもしれないから、自分の意見を主張するのはやめよう」
「天皇陛下が死にそうなのにお笑い番組を放送したら、国民の皆さんにけしからんとお叱りを受けるから、今は自粛しよう」
「天皇陛下が死にそうだから、今は自粛しよう」じゃないんですよ。間に「国民に怒られるから」が入る。
自分の行動を決めるのは、自分の判断ではなくて他人の評価。
他人を評価するときのものさしは、好き嫌い。
だから批判ではなくすぐ非難になってしまい、批判された側も、感情的に対処する。
まあ、誰だって「怒られる」「嫌われる」「叱られる」「無視される」「煙たがれる」はイヤですからね。
そこで予め怒られないよう嫌われないよう叱られないように行動する。
要するに、行動原理が「感情」なんですね。
理屈ではなくて感情で動くから、間違えた時の修復が難しい。
理屈で動いていれば「ここがこう間違えていたから、こう正せばよい」と言えることが、なかなか言えない。
そしてヒトビトも行政も国家も、どんどん畏縮し、言いたいことも言えず、正しいと思うことも行えず。
「副作用が出たらたたかれる、やめれば『なんでやめた』とたたかれる」と行政はジレンマに苦悩するポーズをとっていたけれど、科学的な裏付けがないから感情的な批判にいちいちぐらぐら揺れることになるのだ。ということで番組は、データを蓄積して科学的な裏付けをとり、メリットとデメリットを明確に提示する。その上でワクチン摂取を義務化している欧米(例としてフランス)のようにすべきだとまとめて終わっていた。
ワクチンも必要だけど、根本的に必要なのは、論理的にものごとを考える、主体的に行動する、他人の意見を聞きつつ自分の意見も述べられる。このような人間を育成する教育政策ではないかしら・・・無理かな。