諫早湾問題の開門について。
開門してほしい側にもしてほしくない側にも、どっちにもいい顔しようとして、ちょっとだけ開門するって話さ。
責任とりたくないからねえ、役所はさ。
陸軍と海軍が、どっちも責任とりたくなかったもんだから、どちらも「この戦争、勝ち目はないのでやめときましょう」と思っていたのに言い出せないで、で太平洋戦争は始まった。
こういう国民性なのだ。
「間をとって」が好きなのも、とどのつまりは責任をとりたくないからなのだ。
「7時にしよう」「いや8時にしよう」「じゃあ、間をとって7時半にしよう」とかさ。
「100万円でどうですか」「いや50万円にしてくださいな」「じゃあ間をとって75万円」とか。
間をとることで相互に利益が出る、または損害をこうむらないなら、これは問題の平和的解決方法として良い方法かもしれない。
でも、どんな問題でもこれで解決できるとは限らない。
「全部開門してください」「いや開門されては困ります」「じゃ、間をとって半分開門しましょう」。
ちょっとしか開門しなくても農地には塩害が出るだろうし、ちょっとしか開門しなかったら海流は変わらず海の環境が改善されることはない。
農地をダメにされる人たちにはちゃんと国が補償をして、全面的に開門すべきだ。教訓として。と私は思いますね。全面的に開門したとしても、有明海の環境が以前と全く同じになることはないけどさ。だからこそ教訓として開門すべきなのでは。
カンならやっただろう。でも野田にはできないだろう。野田にできるわけがない。
革命も、起こせるわけがないか。こんな国民性じゃあねえ。