実は31日の午前中に、またプチぎっくりをやったのだった。湿布と痛み止めで誤魔化しつつ普通に生活していたところ、高知行きの電車に乗っている間にかなり痛みが増してきた(研究所から駅までは小渕博士が送ってくれたし、スーツケースも持ってくれた。有難う小渕博士、8月23日から9月6日まで、お世話になりっぱなしでした。うつぼの唐揚げも強奪してしまい☆)。
イテテテといいつつ高知駅を出て駅前バスターミナルに。高知空港行きのバスの横っ腹の荷物入れにスーツケースを入れようとしたところ、荷物入れに<荷物は自分で出し入れしてください>と書いてあるのにも拘わらず運転手さんがわざわざ降りてきて「荷物、自分が載せちゃるき、先にバスに乗ってて」。
こういうところ、いかにも高知です。
空港では搭乗まで2時間近く時間があったので、1,000円払ったら到着空港から自宅まで荷物を宅配してくれるサービス(最近LCC ばっかり使っていたので、ANAにはこういう便利なサービスがあることを忘れかけていた)を使ってスーツケースを先に預けて、空港のレストランでオムライスを食べつつ10日締切の連載記事をすごい勢いで書く。
飛行機の中ではリクライニングすることも忘れて爆睡。
で、羽田に着いたら、腰の調子が最悪になっていた。
品川から山の手線に。座っていたら、隣駅で中年女性3人と比較的若い男性1人が乗り込んできて、「新小岩は飛び込み自殺をする人が多い」という話を私の前に立って話し始めた。
「とにかく新小岩は多いのよねー自殺者が」
「そうなのよね、それでよく電車が止まるんだけど、迷惑なのよね」
「そうよね迷惑よね! こっちは急いでいるのに。遅刻しちゃうじゃないのよねえ」
「死ぬ時くらい、人に迷惑をかけないで死ねないものなのかしらねぇ」
若い男性はややタジタジとなりつつ「……そうですね」と小さな声で相づち。
辛くて辛くて、あまりにも辛くて、生きていけなくなって自殺する人に、他人の迷惑などを考える余裕があるものか。
などと思いつつ、うなだれておばはんたちの話を聞いているうちに、東京駅で降りる時にはもうドーンと心が落ちてしまい、中央線に乗る頃には涙ダダ漏れ。
心の調子も腰の調子もたいそう酷いことになったので、ダンナにお茶の水駅の改札まで迎えに来てもらう。
地方=住む人のこころがあたたかい、東京=冷たい、という図式はあまりにも単純過ぎると思うが、東京に住んでいると、他人への想像力をもう少し発揮したらいいのに、と思うことがよくある。
いや、思いやりの心の強い弱いは、もしかすると地域差より性差のほうが差が出やすいかもしれない。調査したわけではないので、あくまでも印象論でしかないが。
女性は母性があるというが、母性とは具体的な対象に注がれる愛情だ。抽象的な<他人>に注ぐ愛情、他人を思いやる心は、女性より男性のほうが強いのではないかしら。
昨年の秋から冬にかけて、お茶の水の家の周囲に、たいへんな量の荷物を抱えて暮らす女性ホームレスがいたのだが、そのホームレスを奇妙な動物のように話して笑う女性のダイビングインストラクターがいて(誰だったかは忘れた)、話していてものすごく違和感を感じたことがあった。
なぜ「年を取った女性が、自分で一度に動かし切れないほどの荷物を持ってホームレスになったか」を想像したら、不憫に思いこそすれ、笑い話のネタにはとてもできないと思うのだが。
それにしても、おばはん(若くても数人以上集まると女性は<おばはん>化する傾向がある)はデリカシーがない。上記など、電車の中でする会話かよ。元気な時の私なら、間違いなく怒っていた。
しかし、元気な時の私でも、上記のおばはんたちに注意した(できた)かどうかは疑問。
おばはんは恐ろしいですから。理屈で話、通りませんし。
あっ! もちろん男性の中にも、他人を思いやるどころか、自己保身のために他人を貶めて平然としている輩もいる。そして女性の中にもマザー・テレサにような人もいる。上記はあくまでも傾向の話をしているだけであって。このような「但し書き」を書いておかないと意味不明な激昂メールが届くことがあるので悪しからず。
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本日8日は腰痛ベルトをして痛み止めと抗うつ剤を飲んで蟄居。
ダンナは友人たちと<ギター教室>という名目で集まって遊んで帰ってくる予定。
ひとりで家にいる分には問題なし。
留守中にたまったお仕事と、荷物の整理と、10日からの次の旅の準備。