「右足の膝が痛いので大阪病院で診察してもらう」→「村川医院(かかりつけ医)で紹介状を書いてもらう」という決心と段取りを母は1人で行ったものの、大阪病院にはバスかタクシーで行かねばならぬ。母は1人ではバスにもタクシーにも乗れないし、医師の言うことがよく聞こえない(聞こえてもすぐ忘れる)。そこで、いつものように私が連れていくことに。数日前から足のしびれがひどいと言うので、それも診察してもらうつもりで行く。
朝8時30分に来いと言われたので、通勤の人で混雑するバスはやめてタクシーで。病院に到着し、母を車から先に降ろして「そこで立って待っていて」と言って運転手に代金を支払っていると外で「うわーっ」と母の声。
見ると果たして母が転んで、尻もちをついていた。
慌ててタクシーを降りて駆け寄ると、
「よりかかろうと思たらしっかり固定されてなくて転んでもうた~」
目を離した、ほんの10秒の間に……、コーンによりかかろうとするなんて……、
「だから立って待ってて、って言ったでしょ!」と怒りながらも苦いものがこみあげてきた。
転んで腰椎を圧迫骨折でもされたら。もうアウトだ。今はまだ友人と飲みに出かけることも、それどころか東京に戻ることもできる。今はまだゆとりがある。けれど母が寝たきりになったら。今の生活はもうできない。
幸い大きなけがはなく、立ち上がって診察を受けることができた。けれどもう1人ではどこにも行かせられないかもしれない。近所の散歩すら1人では行かせられない。
診察については、私が今一番心配していて、訴えた腰椎(脊柱管狭窄症)についてはレントゲンもMRI撮影もせず、紹介状に書いてあった膝のレントゲンだけ。尻もちをついたというのに!
レントゲン写真を見ての診断は「どこも悪くありません」「近所のクリニックに通ってください」。
どこも悪くないのなら「心配するほどのことはありませんよ」くらい言えばいいのに、中田だったか中谷だったかという男性医師は仏頂面で、あまりにもけんもほろろな言い方をした。誰に対しても「ありがとうございます」を言いまくる(もちろん気持ちを込めて)私が敢えてお礼を言うのをやめたくらい不愉快な対応だった。母も食事時に「金にならへん患者は病院に来るな、言うことやろか」と言った。
父にひどい治療をして死ぬ前に余計な痛みと苦しみを与えた田中陽子医師もそうだったけれど、総合病院の医者は患者の心に寄り添えない人が多いのかもしれない。
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母が通い始めた水彩画教室のグループ展が病院から徒歩5分の会場で開催されている。母が疲れていないことを確認したので予定どおり寄っていくことに。
「水彩なんか小学校と中学校でやっただけやし、油絵に比べて簡単でしょうもないわと思ってたけど」「これ上手やわ」「これも素敵や~」「すごいなあ」と言いつつ額装された水彩画を見て回る。「こんなん私よう描かんわ……」といじけ始めたので「最初から上手に描ける人はいないよ。母はもともと絵が上手だから練習したら描けるようになるよ」とほめて励ます。小学生を教育する親の心境。
お茶をいただいたので、座って休憩しているうちに先生が来られた。先生としばし歓談してからギャラリーを出て、帰り道にあった居酒屋でランチをいただく。私は天丼、母は天ぷら定食(天丼と同じだけの天ぷら+豚肉の冷しゃぶ+小鉢+お椀とお漬物)。ごはんは残したものの、おかずは完食。私より母のほうがよく食べる。
その後ゆっくりゆっくり歩き、バスに乗って帰途につく。
帰宅後、母は昼寝をし、夕食の後もすぐ寝てしまった。早起きして朝8時出発、午後3時帰宅だったので、さすがに疲れたのだろう。私でも疲れるのだから87歳の母が疲れるのは当たり前だ。それでも夕食(たけのこご飯+グリンピースの卵とじ+鮭の天ぷら1切れ+黒豆煮+大根の漬物)はちゃんと食べたのはさすがというか。
尻もちをついた後遺症が出なければいいのだけれど。
来年の今ごろも並んで歩くことはできるだろうか。
食欲はあるのでまだまだ大丈夫だとは思うけれど。
「覚悟」というものは一瞬で固まるものかと思っていたけれど、どちらかというと流動性のもので、少しずつゆっくりと固めていかないといけないものかもしれない。そんなことを思った、今日の外出だった。